ハワイの歴史
今日は『カメハメハ4世』のお話…
カメハメハ4世…アレグサンダー・リホリホは、カメハメハ大王の孫として生まれましたが、兄と共に子宝に恵まれなかったカメハメハ3世の養子となり、幼い頃から英才教育をうけます
海外の視察に兄と共に訪れ、文化や政治を見て学び、世界から遅れをとっているハワイ国家をそのレベルまでもっていこうと、カメハメハ3世死去後、アレグサンダーリホリホはカメハメハ4世となりハワイ王国の為に奮闘します
世界視察の際、イギリスに親しみを抱いた為、イギリス寄りの政策を進めますが、それまでアメリカ寄りの(と言うか…アメリカ人優位)国家となりつつあったので、在住のアメリカ人達は不満を抱きます…
この頃、一番の問題であったのは『人口問題』…外国人たちはハワイに文明や色々なモノと一緒に病気も持ち込んだのです…
ハワイアンの人口は半減したと言われています
そして、自身の子供も4歳という若さでこの世を去ることに…
カメハメハ4世は病院の設立を切望しましたが、国家の予算が割り当てられなかったため、妻のエマ王妃と共に個人の資金で『クィーンズメディカルセンター』を設立します
カメハメハ4世は、息子の死や親友の死…王政の難しさなどにより失意を失って行き、在位わずか9年でこの世を去りました
カメハメハ4世の時代、イギリス国教会がハワイに入ってきたことにより、アメリカ宣教師によるプロテスタントの布教活動が独占できなくなりました
そのことにより、この頃からハワイの伝統文化(フラやハワイの神様に対しての神事などなど…)は復興の兆しをみせます
人々の為に『病院』を建て、『イギリス』という新しい流れを取り入れたカメハメハ4世…29歳という短い一生を終え、ハワイ王国はカメハメハ5世に引き継がれることとなりました…
「ハワイアンとハワイに住む全ての人々の健康のために、優れた保健医療を永遠に提供する!というエマ王妃とカメハメハ4世の意志を貫徹する」…今でも『クィーンズメディカルセンター』のモットーは二人の想いを大切にしています
続きはまた次回…
〜Aloha〜